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〜就学相談〜療育手帳B2(軽度知的)の息子が特別支援学校に決まるまで

6月の就学相談からおよそ半年、ようやく特別支援学校へ就学が決まった。非常に長かった。

 

基本的に軽度知的は特別支援学校対象外と言われていた。(B1からなら無条件で入れるとのこと。)支援学級の先生にもB2の療育手帳だと支援学校は厳しいねと言われ、非常に不安だったが、相当の準備をして就学相談等に臨み、息子の大変さを分かってもらえたよう。意外と支援級と支援学校の狭間で、支援学校を希望するというのは、あまりないパターンかと思うが、参考までに、同様の立場にいる親御さんに就学相談から決定までの流れを残しておこうと思う。

 

⚪︎6月中旬

就学相談開始。息子の幼稚園は規模が小さい。年中からクラス一人なのでマンツーマン。すでに障害があることは先生達には年少から伝えていて、色々と手厚い配慮をしてもらってきた。特別支援学校を希望していることも以前から伝えていた。そこで、改めて先生に進路について聞かれたが、基本的には療育手帳B2は特別支援学校には原則入れないがそれでも希望するか問われたため、強く希望すると伝えた。その流れで就学相談となった。支援級か特別支援学校へ行くには必ず通らないといけない関門である。

 

就学相談の1回目は教育委員会の指導主事の方との面談だった。教員として交流で異動してきている方と思われる。以前特別支援学校は2回見学をしていて、設備や支援体制がとても充実していることから、身辺自立が不十分で、会話のキャッチボールが難しい息子が伸び伸びできそうな点で希望をした。そこで問題となったのが、学校教育法施行令22条の3(特別支援学校に入れるかどうかの基準)に当てはまるかどうか。

 

町の方では息子がその基準に当てはまるかどうか判断が難しいので、県にまず判断をしてもらう、という話になった。具体的な話は次の就学相談に持ち越された。

 

⚪︎8月上旬

2回目の就学相談。予めワードで息子の発達履歴から、困りごとまでびっちりまとめて話をした。就学相談に臨む前に、国立特別支援教育研究所の研究資料を読み込み、就学までの流れや、教育委員会の思惑、いろんな保護者の就学相談事例など参考になることが多くあったので、読んでおくといいかもしれない。

次回はもう県の判断を仰ぐ流れになると思っていたが、その判断に進む前に支援級も一応見ないといけないということで、支援級も渋々見に行くこととなった。支援級のレベルが高いのは想像がつくので、見なくていいと思っていたが、おそらく親の視野を広く持ってもらいたいのだろう。なかなか進まなくてもどかしい。しかも夏休み中だったから夏休み明けの9月で日程を組まされた。

 

⚪︎9月上旬

支援学級の見学へ。思ったよりアットホームな感じだったが、レベルは高いと感じた。身辺自立はできているし、会話も普通にできていて、心が通じる子ばかりだった。個別の支援も付けることは難しいと言われたので、もはや息子には厳しい環境だと改めて感じた。支援学校が適しているという思いはさらに強くなった。(前向きに選んでいる。)

 

支援学級の先生にも療育手帳B2だと最近は県も厳しいから特別支援学校は入れないかもね、とも言われ不安になったが、総合的判断で、手帳が全てではないことは分かっていたので、困り事と親の思いをしっかりまとめて、支援学校の判断になるように努めた。

 

そこで、次の就学相談までに、さらに資料をしっかりまとめ、根拠書類として医師の診断書を取得することとした。内容としては、身辺自立が不十分で、コミュニケーションの困難さがあること、特別支援学校への入学が妥当であることを書いてもらった。診断書をもらうまでは2週間くらいかかるので要注意。

 

また、県の担当の方が息子の園や療育での様子も見にきたようで、その中で先生から話を聞いたり、実際の姿を見て、本当に大変な子なのかどうかを確認しにきた。

 

⚪︎9月中旬

就学相談の最終。ここで最後に改めて特別支援学校への希望を聞かれ、希望は変わらない旨を伝えた。支援級見学のフィードバックをして、支援学級はレベルが高すぎるので非常に厳しいと思うということも伝えた。

 

県の判断の参考までに、今までに作成した困り事をまとめた資料、診断書や過去の検査結果、教育支援資料をもとにした親なりの見解をまとめたものをファイルに綴り、指導主事の方に渡した。(言葉だけだと伝わっていない部分もあるかもしれないので、文字に起こして念の為渡しておいた。)

 

あとはしばらく結果を待つこととなった。

 

⚪︎10月下旬

県での就学支援委員会が行われた。答申がどうなったのかははっきり教えてもらえなかったが、もし22条の3に該当しなかったら、その時点で話があるようなので、話が何もなかったということは該当はした(支援学校の選択ができる)ということであった。ただこの答申は、就学先決定に係る判断材料の一つであるので、決定ではなく、最終的には自治体の教育委員会となる。

 

⚪︎11月中旬

町での就学支援委員会が行われた。上記答申や、すでに渡してある診断書などをもとに園長先生が上手く伝えてくれたよう。終わった後に連絡があり、無事希望通り支援学校に決定したという話をいただいた。ようやく肩の荷が降りた。ほっとした。もはや支援学級判断が出たとしたなら異議申し立てをしようと思っていたくらい、息子の状態は分かりきっているものだった。困り事がしっかり伝わって、しっかり合意形成ができたと思った瞬間だった。

 

⚪︎まとめ

とにかく、決定するまで時間がかかった。通常級と支援級の間も大変かもしれないが、支援級と支援学校の間も色々大変だと感じた。障害自体は、2歳からのことなので、私たち親は障害受容は十分にできており、特別支援学校にネガティブな思いは一切なく、見学して単純に息子が楽しく伸び伸び過ごせそうと思っただけであった。これしか選べないということではなく、ここがいい!という前向きな気持ちで選んだという思いが強い。

特別支援学校の選択については、身辺自立がほとんどできていないこと、友達や他人と関係が築けないこと、会話のキャッチボールができないことが大きなポイントになると思うので、これらが多少なりできる子はなかなか難しい印象。そういった子で、ただこちらの方が手厚くて専門性があるという理由で選ぶのはNGかもしれない。ただし就学先の決定については、地域差がどうしてもあるので、あくまで参考までに。

 

 

 

 

 

 

3連休の1日目は近場で過ごしました

3連休でとても暖かい気候。紅葉シーズンでもありどこか遠出したいと思ったけど、渋滞人混みを考えて近場で過ごすことに。

 

車で30分ほどの湖畔に出かけて、紅葉を家族で見に行くことになった。近いのにあまり行ったことがなかったが、素晴らしい葉の色付きで、湖畔と山の景色も相まって想像していたよりずっと良かった。

 

お昼は、レトロなお店の名物のわかさぎ丼を食べた。わかさぎ自体食べるのは初めてだったが、あっさりとふわっとしていて、秘伝の甘いタレにすごくマッチしていた。クタクタのわかめの味噌汁も美味しかった。

 

その後は、農家が経営しているジェラート屋さんへ。畑の中にポツンとお洒落な佇まいのお店だった。アイスの種類も沢山あって、山椒ミルク?というのが気になったが、初見のお店で冒険はせず、ブルーベリーミルク(創業以来の定番だそう)を食べてみた。もう名前からして間違いなかった。とても美味しくいただけた。

 

そんなこんなで予算3,000円ほどで結構楽しめた。近場でも知らないところは、まだまだ沢山あるし、隠れたお店もある。たまには、近場に赴くのも悪くないと思った。

 

 

芋というお題で思いつくこと

今週のお題「芋」

 

芋で好きなのは、やはり山芋。

 

すり鉢で山芋をすって、とろとろのとろろを作る。

 

そこに出汁とか味噌とか醤油を適当にかけて、よく混ぜてからご飯にかける。

 

その上に卵をぽとん。

 

ご飯と混ぜて食べると、もう和食って素晴らしい!って思うくらい、最高の組み合わせかと思う。

 

そういえば、畑で山芋を掘ったことがあるけど、あれは結構難しい。

 

スコップで少しずつ掘りながら、どの辺に芋があるか特定する。

 

その周りを本体に傷がつかないように周りを掘って引っこ抜くのだが、私は、上手くできずに、スコップで傷つけるどころか、真っ二つにしてしまうくらいな勢いでやってしまって、そうそうに断念してしまった。

 

ちょっと優しく扱わないといけないデリケートなお芋かと思う。

 

最近全然食べることがないので、久しぶりに食べたいな。できれば焼き魚とほうれん草の味噌汁なんかと一緒に。日曜日の朝とか時間を気にしないで、ゆっくりと堪能したい。

趣味は固定しない方が気楽だと思う

自分は特定の趣味はもっていない、と最近思うようにしている。

 

大抵のことを色々とやってきた。何でもブームの目が出始めた頃にちょっとやってみたりして、こんなものか、といった感じでもうやらなくなる。

 

D I Yなんかは、古民家を賃貸して、床を張り替えたり、壁を塗ったり好き放題して、ある程度形になったら満足した。これ以上深めようとは思わなかったし、大変だったからもう2度とやることはない。

 

キャンプもコロナよりもずっと前に電動のルーフテントを軽自動車にくっつけて、四国までうどんを食べに、車中泊で4泊しながら家族で旅したり、海岸の前で泊まったり、ある程度のことを経験したところで、やらなくなってブームが来た頃に売ってしまった。

 

キャンプに関しては、それなりの道具が沢山必要になってくるし、やっているうちにこだわりたくなってお金が割とかかる。やるにしても、天気、季節、家族のスケジュールやコンディション、移動時間など、快適に行うためには、様々な要素が絡んでいて、1年間で快適にやれる日などほとんどない。(それがキャンプの魅力ではあるが。)

 

色んなことを趣味(風)にかじってきたけれど、結局趣味にならない理由は、メディアから発せられるイメージに翻弄されていることもあるんじゃないかと最近はよく思う。その趣味にかっこいいイメージを見せつけられ続けて、やる前はかなり期待値が上がってしまうが、やってみると実に地味だし、期待値を超えることはほとんどない。それに何でも私たちが趣味としてやる頃には開拓し尽くされているから、ただの真似事にしかならない。

 

それでも、かじってみた結果、自分には合わないことが分かったと言うことはそれはそれで人生の収穫であるし、動機はどうであれ、やりたいと思ったことはやったということは世界が広がったという点で意味がある。いつかはやってみたい、で終わるのとは雲泥の差があると思う。

 

趣味を固定してしまうと、他の選択肢に目が向けられなくなってしまうから、流れる波のように、ふらふらと色々かじっていくのが自分に合っているのかもしれないと最近思うようになった。

 

だから趣味を聞かれれば、特定の趣味はないけれど、今は○○やってるかなーくらいの感じで良いのかもしれない。

 

 

 

田舎移住で自給自足的な番組を観て思うこと

最近よく見る、田舎に移住して自給自足していますみたいな番組。

 

すごく極端な暮らしぶりだなと毎回感心してしまう。薪を使ったり、太陽光パネルを使っていて、電気やガスがタダ、水は湧水、食も自宅の田んぼで育てた米や畑の野菜がとれ、肉などは物物交換で成り立っている。さらに家は築何百年の建物だったりする。電子レンジや掃除機などは使わない。風呂は薪で沸かす。

 

テレビで表面的に見る分にはのんびりして楽しそうなだけの印象だが、裏では相当の苦労があるのだろうと思う。大体の人がお金で解決することを全部自分でやるのだから、生活をするための労働時間は相当あるはず。

 

そのため、夫婦ともに生きる力に溢れている。凡人レベルでは真似してはいけない生活である。趣味は自給自足です、と言い切れるくらいの振り切れたレベルでないと無理。

 

何故か都市部の高学歴の人がこういった暮らしをするケースが多い気はする。恐らくは、学歴に見合った進路に就くことができなかった→普通の層で暮らしていても学歴が高ずぎるゆえに目立ってしまう→田舎で自給自足し、社会から一定の距離を置き、金や物欲にまみれた世の中を俯瞰することで自尊心を保つみたいな感じは多少あるような気はする。

 

山間部で育った私(農家ではないが)からすれば、そんな暮らしは積極的にやろうとは微塵も思わない。祖母と父は日本昔ばなしに出てきそうな山々の中で育った人で、農家としての苦労話は散々聞いている。畑の手伝いとかもして身をもって体感もしている。ただ、そんな環境で育った父は手先が器用でなんでも自分で出来る。確かに生きる力的なものを感じるタフさがある。(残念ながら私には全くない。)これも向き不向きはあるだろう。

 

子供には生きる力を身につけさせたいということだが、子供の本音はどうなんだろう。テレビなどの情報統制をされていれば、何ともない幸せな日常だと思うが、学校の友達との話題とかについていけるのだろうか。

 

そういえば以前別の番組で、どこかの国の民族の女の子と日本の東京の女子高生を交換して、それぞれの自宅に住まわせるような番組をやっていた。

 

民族の女の子はそもそも日本の田舎レベルの暮らしではなく、まさに民族そのものの伝統的な暮らしの中で生きてきたレベルなので、あまりにも違う、東京の暮らしには最初すごく戸惑っていた。

 

ただ、だんだんと都会の暮らしに慣れるにつれて、本当に楽しそうに暮らしている印象だった。自分と同年代の日本の女子高生とゲーセンでプリクラ撮ったり、スイーツ食べたりと、学生ライフを満喫していた。それと同時に自分のところの暮らしぶりと比較をして落ち込んでいるようにも見えた。

 

最初は自分の住んでいるところが一番!と言っていたが、国に帰る頃には、あまり浮かない表情だったし、新しい世界を知ってしまったことで不幸な気持ちが生まれてしまったようだった。その去って行く背中が寂しげに映ったのをよく覚えている。

 

そんな経験も将来することもあるのではないか。

 

子供には子供の人生があるから、みたいに自主性を尊重はしているけれど、こういった極端な趣味的なものに付き合わされる子供もたまったものではないなと思うところもある。

 

ただ、色んな生き方や家族の形があるので、他人がとやかく言うものではない。自分自身も凝り固まった頭をもっと柔軟にして生きていきたいと思う。

 

 

納豆の食べ方について

今週のお題「納豆」

 

納豆を食べるときは、シンプルに青ネギと白ネギを刻んだものをダブルで投入する。だいたい2対1の割合。(納豆2 ネギ1)

 

生のネギが嫌いな妻からは、冷たい視線を浴びるが、無類のネギ好きの私は、構わず大量のネギを使う。もうネギに納豆入れているのかと思うくらい。

 

そしてしっかり混ぜてご飯茶碗に投入する。特に変わったのではないけど、ネギと納豆だけで十分に美味い。

 

何がおかずで出てきても、納豆が欲しくなるので、ご飯メニューの時は必ず納豆を食べる。だから冷蔵庫には納豆だらけであるが、期限を切らさずに全部食べている。

 

納豆の商品自体にはそれほどのこだわりはないが、セブンイレブンの納豆は結構美味いと思っている。あとは何のメーカーか忘れたけど、わさびと黒豆の納豆とか。

 

定番のおかめ納豆はだいぶ味が濃いので、あまり好きではない。なんでタレの味があんなに濃いのだろう。昔からある馴染みの納豆だけどしょっぱい。同じように思っている人多いのでは。

 

 

 

今のラーメン屋に行き始めてから10年が経った

好きなラーメン屋さんに通い始めて10年が経った。

 

その店は九州豚骨ラーメンがメインで、行くたびに常連さんで賑わっている。

 

私は、少し通うには遠いので、月に1度のペースでしか行けないが、これほどに好きになったラーメン屋は今までにない。

 

ラーメンのスープは少し濃いめの豚骨で、あっさりとこってりの中間くらいで飲みやすい。

 

ラーメンは豚骨には珍しいちぢれ麺で、スープとよく絡む。

 

付け合わせの辛い野沢菜がまた絶品で、ラーメンに絡めて食べるとピリッと来て美味い。(辛いものが苦手な私はいつも腸の調子が悪くなる。けれども好きが優ってしまい食べてしまう。)

 

チャーハンも最高に美味い。チャーハンの色は白くて一見味がなさそうに見えるがちゃんと味がある。にんじんやピーマンが具材として入っていて、甘みもある。

 

ラーメンのスープに合わせると味が喧嘩せずに、お互いの味を最大限に引き出してくれる。

 

スープももちろん最後まで飲み干して、お店を出た後は、自販機のコーラを買って車で飲んでさっぱりするのが定番のスタイル。

 

もう何年通っても毎回一人で、どうしてこんなに美味いんだろう、と心の中でつぶやいている、というより無意識に声に出てしまっているかもしれない。

 

こういう店に出会えたのは本当に幸せだと思う。自分の人生に潤いを与えてくれる大事なお店。

 

ずっと味は変わらないが、最近は店主も歳を取り、痩せ細ってきて心配である。おそらく後継者もいなそう。いつかはもう食べられなくなると思うと非常に悲しい。

 

こうやってブログを書いているうちに行きたくなってきたので、明日のランチはここにします。(ちょうどこちら方面に用事があるので。)