あたまの中を整えよう。

なんでもない日々を記録します

趣味は固定しない方が気楽だと思う

自分は特定の趣味はもっていない、と最近思うようにしている。

 

大抵のことを色々とやってきた。何でもブームの目が出始めた頃にちょっとやってみたりして、こんなものか、といった感じでもうやらなくなる。

 

D I Yなんかは、古民家を賃貸して、床を張り替えたり、壁を塗ったり好き放題して、ある程度形になったら満足した。これ以上深めようとは思わなかったし、大変だったからもう2度とやることはない。

 

キャンプもコロナよりもずっと前に電動のルーフテントを軽自動車にくっつけて、四国までうどんを食べに、車中泊で4泊しながら家族で旅したり、海岸の前で泊まったり、ある程度のことを経験したところで、やらなくなってブームが来た頃に売ってしまった。

 

キャンプに関しては、それなりの道具が沢山必要になってくるし、やっているうちにこだわりたくなってお金が割とかかる。やるにしても、天気、季節、家族のスケジュールやコンディション、移動時間など、快適に行うためには、様々な要素が絡んでいて、1年間で快適にやれる日などほとんどない。(それがキャンプの魅力ではあるが。)

 

色んなことを趣味(風)にかじってきたけれど、結局趣味にならない理由は、メディアから発せられるイメージに翻弄されていることもあるんじゃないかと最近はよく思う。その趣味にかっこいいイメージを見せつけられ続けて、やる前はかなり期待値が上がってしまうが、やってみると実に地味だし、期待値を超えることはほとんどない。それに何でも私たちが趣味としてやる頃には開拓し尽くされているから、ただの真似事にしかならない。

 

それでも、かじってみた結果、自分には合わないことが分かったと言うことはそれはそれで人生の収穫であるし、動機はどうであれ、やりたいと思ったことはやったということは世界が広がったという点で意味がある。いつかはやってみたい、で終わるのとは雲泥の差があると思う。

 

趣味を固定してしまうと、他の選択肢に目が向けられなくなってしまうから、流れる波のように、ふらふらと色々かじっていくのが自分に合っているのかもしれないと最近思うようになった。

 

だから趣味を聞かれれば、特定の趣味はないけれど、今は○○やってるかなーくらいの感じで良いのかもしれない。